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落書き帳

第十二回十番勝負問八「複数の郡(4つ以上)からできた市」の検証記事(境界変更を中心としたもの)

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[53428]2006年8月16日
北の住人
[53442]2006年8月17日
88
[53452]2006年8月17日
北の住人
[53458]2006年8月17日
88
[53492]2006年8月19日
北の住人
[53495]2006年8月19日
紅葉橋律乃介
[53521]2006年8月20日
EMM
[53523]2006年8月20日
グリグリ
[53534]2006年8月21日
紅葉橋律乃介
[53538]2006年8月21日
EMM
[53544]2006年8月21日
88
[53571]2006年8月23日
EMM
[53572]2006年8月23日
EMM

[53428] 2006年 8月 16日(水)23:13:22北の住人 さん
4つ以上の郡からできた市
[53355] オーナー グリグリさん
問八の未解答のうち「石狩市」について。「石狩郡」「厚田郡」「浜益郡」は明らかですが、もう一つを探しているところです。候補としては「小樽郡」と「札幌郡」。
小樽郡成立時の石狩郡、札幌郡との郡界は「オタナイ川(小樽内川、今の清川と考えられる)」で、その後、小樽郡は小樽市域に含まれました。小樽市と石狩町で境界変更がありましたが、現在の石狩市域に小樽郡は存在しないと思います。
札幌郡については、明治の地図を見ると、札幌郡と石狩郡の間で境界変更があったような感じもします。
いずれも地図だけでは確かでなく、資料に当ろうかと思っているところです。
[53442] 2006年 8月 17日(木)06:07:11【3】88 さん
石狩市を構成する郡について
[53428] 北の住人 さん
小樽市と石狩町で境界変更がありましたが、現在の石狩市域に小樽郡は存在しないと思います。
札幌郡については、明治の地図を見ると、札幌郡と石狩郡の間で境界変更があったような感じもします。
いずれも地図だけでは確かでなく、資料に当ろうかと思っているところです。

小樽郡朝里村
M35(1902)0401小樽郡熊碓村、朝里村、張碓村、銭函村が合併し朝里村に
小樽市
S15(1940)0901小樽郡朝里村を編入
石狩郡石狩町
H02(1990)0601小樽市銭函五丁目の一部を境界変更して石狩郡石狩町へ

この「小樽市銭函五丁目の一部」が、元小樽郡朝里村(元々小樽郡銭函村)と思っているのですが、地番での確認はできておりませんので、調査いただければ幸いです。

なぜ私88がこの話題にレスするのかいいますと、それは・・・ゴニョゴニョ・・・。

(参考)官報情報検索サービスより
――――――――――――――――――――――――――――――
○ 自治省告示 第八十六号
   市町の境界変更
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、北海道小樽市と石狩郡石狩町との境界を次のとおり変更する旨、北海道知事から届出があった。
 右の境界変更は、平成二年六月一日からその効力を生ずるものとする。
 平成二年五月二十三日
自治大臣 奥田 敬和

小樽市に編入する区域
 石狩郡石狩町新港西二丁目一三五の一の一部、一三五の五の一部、一三六の一、一八七の一部、二五八の一の一部、二五八の三の一部、二五八の七の一部、五三四の一部、新港中央一丁目三〇一、三八九の一の一部、三九二の一、三九二の二の一部、三九二の三、五四四の一の一部、五四四の二の一部及びこれらの区域に隣接介在する道路、水路等である国有地の一部並びに新港中央一丁目二九〇の一、五八〇の一の地先の国有地の一部
石狩郡石狩町に編入する区域
 小樽市銭函五丁目一一、一二の八の一部、二九の二、二九の三から二九の五までの各一部、二九の六、三〇の一の一部、三〇の二の一部、三〇の四の一部、一二一の一から一二一の四まで及びこれらの区域に隣接介在する道路等である国有地の一部並びに二の一、二の四の地先の国有地の一部、三八の六から三八の八まで、三八の一五の地先の道路等である国有地の一部
(引用者注:「樽」の字は正式には異体字)
――――――――――――――――――――――――――――――
[53452] 2006年 8月 17日(木)20:36:24北の住人 さん
小樽市大字樽川村
[53442] 88 さん
H02(1990)0601小樽市銭函五丁目の一部を境界変更して石狩郡石狩町へ
この境界変更区域、地番の確認はしていませんが、もともと石狩町(石狩郡)だったと考えられます。この区域の変遷は次のようになると思います。
 樽川村→花川村→石狩町→小樽市→石狩町→石狩市

現在の小樽市銭函4丁目、銭函5丁目は町名改正によるもので、以前は小樽市大字樽川村。さらに、昭和50年4月15日の境界変更前は、石狩町大字樽川村の一部になるはずです。この樽川村は、石狩国と後志国の境界である、オタナイ川(小樽内川)の右岸(石狩国側)に位置しているために名付けられたと考えられ、石狩町の古い字名として「大字樽川村字小樽内川」が存在するようです。

昭和50年の小樽市への編入、石狩湾新港の建設が絡んでいるようです。新港ができると小樽港へ入港する船舶が減りますから。
[53458] 2006年 8月 17日(木)22:39:5488 さん
石狩市・小樽市
[53452] 北の住人 さん
石狩市の沿革です。北の住人さんには釈迦に説法でしょうが、他の方に向けて、ということで。
石狩市
M35(1902)0401石狩郡石狩町 発足
M40(1907)0401石狩郡花川村を編入
S50(1975)0415石狩郡石狩町大字樽川村の一部を境界変更して小樽市へ(※)
H02(1990)0601小樽市銭函五丁目の一部を境界変更して石狩郡石狩町へ(※)
H08(1996)0901石狩市に
H17(2005)1001厚田郡厚田村、浜益郡浜益村を編入
石狩郡花川村
M35(1902)0401石狩郡花畔村、樽川村が合併し花川村に

H02(1990)0601の小樽市銭函五丁目の一部の石狩町への境界変更が、「元小樽郡銭函村」というのが私の推測だったのです(根拠は、単に同じ「銭函」だからそう思っただけ)。これが、北の住人さんのおっしゃるとおり元々石狩町(石狩郡樽川村)で、S50(1975)0415に境界変更で石狩町から小樽市へ移り、その一部が、銭函五丁目と名を変えて石狩町へ戻った、ということであれば、ご指摘のとおり、石狩市は3郡ということになります(厚田郡厚田村、浜益郡浜益村はそれぞれ厚田郡、浜益郡だけから成ることは確認済み・・戦前の境界変更の有無は確認できていませんが)。
(旧小樽郡銭函村の沿革は、[53442]拙稿で述べたとおり)

[53428] 北の住人 さん
小樽郡成立時の石狩郡、札幌郡との郡界は「オタナイ川(小樽内川、今の清川と考えられる)」で、
[53452] 北の住人 さん
この樽川村は、石狩国と後志国の境界である、オタナイ川(小樽内川)の右岸(石狩国側)に位置しているために名付けられたと考えられ、石狩町の古い字名として「大字樽川村字小樽内川」が存在するようです。
このご指摘と、地番と、「銭函五丁目」の町名変更(設定)がつながればさらに完璧ですね。もっとも、北の住人さんの「生き字引」的なお話で十分なのかもしれませんが。

長文の引用で恐縮ですが、念のため、S50(1975)0415の境界変更の告示を記します。ネタ元は、いつもの官報情報検索サービス です。
――――――――――――――――――――――――――――――
○ 自治省告示 第九十一号
   市町の境界変更
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、北海道小樽市と石狩郡石狩町との境界を次のとおり変更する旨、北海道知事から届出があつた。
 右の境界変更は、昭和五十年四月十五日からその効力を生ずるものとする。
 昭和五十年四月十日
自治大臣 福田  一
小樽市に編入する区域
 石狩郡石狩町大字樽川村一、一、一の四、二の甲、二の乙、三から五まで、七、八、一二の三から一二の七まで、二二の一から二二の三まで、三二の一から三二の三まで、三三の一、三三の二、三四の一から三四の九まで、三五の一、三六の一から三六の一〇まで、三九、四六、五四の一から五四の五まで、五九の一から五九の三まで、五九の六から五九の一一まで、六〇の一、六〇の二、六五の一、六五の二、六七の一、六七の二、六八の一、六九、七〇の一、七〇の二、七一の一、七一の二、七四から七七まで、七八の一から七八の五まで、八〇の一から八〇の四まで、八二の一から八二の三まで、九五の一から九五の三まで、一〇二、一〇三の一から一〇三の九まで、一一一、一一五の一から一一五の四まで、一一六の一、一一六の二、一一九、一二七の一、一二七の二、一三一の一から一三一の四まで、一三七、一四五、一四五の二から一四五の四まで、一四七の一から一四七の三まで、一五一の一、一五一の二、一五二の一から一五二の四まで、一五八の一から一五八の六まで、一六七、一七五の一、一七五の二、一七八、一七九の一から一七九の八まで、一八〇、一八三の一から一八三の六まで、一八四、一八六の一から一八六の三まで、二〇六、二一二、二一三の一から二一三の四まで、二一四の一八、二一四の四〇から二一四の四二まで、二一六の一から二一六の九九まで、二一七の一から二一七の七まで、二二九の一から二二九の七まで、二三一の一、二三一の二、二三四の一から二三四の五まで、二三五の五、二三九の一から二三九の八まで、二四一の四から二四一の七まで、二四三の一から二四三の七まで、二四九の一から二四九の三まで、二五九の一から二五九の二六まで、二六〇の一から二六〇の三まで、二六一、二七四、二七八の一から二七八の三まで、二八二の一から二八二の五まで、二八三の二、二八三の三、二八六の一から二八六の六まで、二八七の一から二八七の三まで、二八八の一から二八八の三まで、三一九、三二七の一から三二七の六まで、三二八、三二九の五、三二九の八、三三二の九、三三九の一から三三九の六まで、三四〇の一、三四〇の二、三四七の一から三四七の三まで、三四八、三四九の一から三四九の三まで、三五〇の一から三五〇の四まで、三五二の一から三五二の一三まで、三五三、三五四、三五五の一から三五五の三まで、三五六、三五七の一、三五七の二、三五八、三六二の一から三六二の六まで、三六八の一から三六八の一六まで、三七五の一、三七五の二、三八一、三八四の一、三八四の二、三八八の一、三八八の二、三九一の一から三九一の一〇まで、三九三、三九四の一から三九四の五まで、三九九の一、三九九の二、四二三の一から四二三の四まで、四二六、四二七、五二六、字分部越一、二、四、五、五の一、五の二、六から八まで、五二五の一から五二五の九まで、字分部義八の一、八の二、九、九の三、字白川八、九の一、九の二、一〇の一から一〇の六五まで、一二の一、一二の二、一二の八、一二の九、一三から二〇まで、二四の一から二四の七まで、二六、三一の一、三一の二の甲、三一の二の乙、三一の三から三一の一〇まで、六六の一、六六の二、八三、字小樽内川三六一の一、三六一の二、字白井川三七二、三八〇、三八二、四二四の一から四二四の六まで、字オタネナイ四〇〇、四〇二の一、四〇二の二、四〇三の一、四〇三の二、四〇四の一、四〇四の二、四〇五の一、四〇五の二、四〇六、四〇七の一、四〇七の二、四〇八の一、四〇八の二、四〇九の一、四〇九の二、四一〇の一、四一〇の二、四一一の一、四一一の二、四一二の一、四一二の二、四一三の一、四一三の二、四一四の一、四一四の二、四一五の一から四一五の三まで、四一六の一から四一六の三まで、四一七の一、四一七の二、四一八の一、四一八の二、四一九の一、四一九の二、四二一、五二七、字樽川三九七、字軽川二一九及びこれらの区域に隣接介在する道路、水路等である国有地の一部
(引用者注:「樽」の字は正式には異体字)
――――――――――――――――――――――――――――――
[53492] 2006年 8月 19日(土)09:29:06北の住人 さん
石狩市・小樽市
[53458] 88 さん
あっという間に該当する告示が2本も出てくるなんて、小樽市・石狩町の境界変更について、書き込んで良かったです。
手元に変更以前の地形図がいくつかあるんですが、この告示で小樽郡から石狩市に入った区域はないとほぼ確信しました。小樽市銭函5丁目は、石狩町大字樽川村から名を変えた区域で間違いないと思います。(明治の地図については少し疑ってますが、昭和42年の地図ならOKでしょう。)
昭和50年の境界変更ですが、市町村便覧などで、小樽市から石狩町への編入もあるような雰囲気になってたりしますが、告示を読むと石狩町→小樽市のみのようですね。

細かい話になりますが、この告示にでてくる字名で気付いたことです。
・分部越、分部義(「義」の字を当てているのは初めて見ました)…アイヌ語地名の「フンベムイ」由来(鯨に関係?)。「フンベムイ」は「花畔村」に存在したという記述もあり、明治期には「花畔村」→「樽川村」となった区域もあるかも。「花畔村」は明治4年、「樽川村」は明治15年の成立なんで分村の可能性も。
・小樽内川、オタネナイ、樽川 …アイヌ語地名の「オタルナイ(オタナイ)」由来で、「小樽内」に「オタネ」とルビが振られた地図もあり、「オタネ浜」の通称も。「オタネさん」がいたからという説もあったりなかったり。
不思議なのは「字樽川」。「大字樽川村」には字無しの区域があるのに、なぜここに「字樽川」の小字があるのか、他村と境界変更があったのかも?

さて、次の字名が問題なんですが、ひょっとしたら札幌郡から石狩市域に移った区域があるかもしれません。これを調べるのはかなり難しそうですが。
・軽川、白川 …下手稲村・山口村(現在の札幌市手稲区の大部分)に同字名が存在。「軽川」は手稲町中心部の旧字名で、「手稲駅」は昭和27年に「軽川駅」から改称。明治29年の地形図では、下手稲村の村域の一部が、現在の石狩市域にかかっており、「字軽川」は「下手稲村」→「樽川村」の境界変更でできた可能性も。ただし、明治43年の地形図では今と同じ境界なので、明治29年のは誤記かもしれません。また、「軽川」は広域名かもしれないです。

ちなみに、下手稲村域の変遷は次のとおりです。
 発寒村→手稲村→下手稲村→(山口村分村)→手稲村→手稲町→札幌市→札幌市西区→札幌市手稲区
[53495] 2006年 8月 19日(土)17:20:30紅葉橋律乃介 さん
4郡の市「石狩」
 [53428]北の住人さん
 [53442]88さん
 [53452]北の住人さん
 [53458]88さん
 [53492]北の住人さん

 議論の行方が気になるところなんですが、そもそもの発端は、

[53355] 8月13日(日)20:17:56 グリグリオーナー
問八:複数の郡(4つ以上)からできた市(未解答:6市)
小樽市、石狩市、奥州市、出雲市、三次市、庄原市

 この未解答の中に「石狩市」が入っているからなんですね。


 グリグリさんが書かれているには、何か根拠があるはずです。問題の元になった記事([42705])には3郡しかありませんから、ぜひ4郡の根拠をお教えいただきたいと思います。


 ところで、ここまで細かく調べる必要があるんですかね…?
[53521] 2006年 8月 20日(日)17:22:12【2】EMM さん
問八追跡調査委員会顛末記
さて、問八で追加解が大量に増えた経緯をお示ししたいと思います。

すでにグリグリさんからアナウンスのあった通り、問八の元となっているのはアーカイブズ複数の郡にまたがる市、複数の市を生んだ郡です。
そして、当初の想定解22と言うのは[42705][42788]BEANさんがまとめられた一覧の中から4郡以上書かれている市の数になります。
ところが、元々の話題は「3郡以上」であるのに対し、グリグリさんの想定した共通項が「4郡以上」であったため、内容に微妙なずれが出てしまっていたのです。

まず「郡」の定義については、アーカイブズ中の記事では「明治の郡整理」以降のもの、となっています。これはとりあえず問題ありません。
(私が郡統合ではなく郡整理としているのは、富山県では同時期に郡の分割が行われていたり、新潟県では郡統合と郡界変更が同時に行われていたり…と言った事例が見られるためです)
次に、「郡の範囲」と「合併された時期」を定義する必要があります。
「郡の範囲」は「合併時点で丸々1町村以上の範囲があるか、あるいは部分合併だけか」、「合併された時期」は「その市に直接合併した町村を対象とするか、その市に直接合併した市町村の過去の合併に関与した町村まで対象とするか」が考えられます。
BEANさんの一覧は「合併された時期」は特にこだわらずに「郡の範囲」が1町村以上の範囲であるもの、がピックアップされています。
ただし、3郡であれば良かったのですが、4郡以上ではまずい事例が混ざっています。
それがお題に含まれていた「小千谷市」。
実は小千谷市を見つけてきたのは私です。そしてその記事([42720])には、
ただし、古志郡は1行政区域のうちの1部分が加わったものでしたが、三島郡は1町まるまる入っているようです。
と、古志郡は1町村に満たない部分しかない旨書いています。
ついでに言うと、お題中では大田市も似た事例(邑智郡からは部分編入が3件)でした。
さらに、問八のお題中には下呂市(下呂市に合併した町村は全て益田郡だが、それらの町村の合併履歴を見ていくと他の郡から1町村単位で合併したところが計3郡分あった)がある。
問八はこれら3市をお題に含んでいるため「過去の履歴に至るまでの部分編入まで調べて想定解に入れないと、問題としておかしいことになってしまう」事になっていたのでした。
一方、アーカイブズ中の記事には、

[42705]BEANさん
1市町村未満の小さい領域変更はほとんど無視しています。
ただし基準にあいまいなところがあるので、(見落としもありうるので)異議があれば30時間以内にお願いします。
[42775]EMM
ただし、郡時代の追跡が完璧でないような気がするので、まだあるかもしれません。
なお、これから合併する市に関してはパス。

…と言った断り書きがある(自分で書いた部分はすぐ思い出した)ので、もう一回きっちり調べる必要がある状態であった、というのが詳細な調査を行ったそもそもの発端です。

ちなみに、もう一つ「何を使って調べるか」が問題となるかと思いますが、例えば官報まで突き詰めて調べていくと厳密な結果が出るのでしょうが、そこまで調べられる人は限られるでしょう。
アーカイブズ中の記事ではBEANさんや私が行政区画変遷一覧表を資料として使用しており、十番勝負に参加している皆さんも容易に利用出来るものでもありますから、基本的には行政区画変遷一覧表で調査可能なものを対象とするのがよいだろう、と考え、グリグリさんにもそのようにご提案しています。
ただし、後述しますが官報での詳細調査を行わないと決着が付かないものも数例出てきています。

長くなりましたのでまとめますと、問八の共通項は「明治の郡整理以降の郡に関して、合併された時期の新古・範囲の大小に関わらず4郡以上を市域に含む市で、行政区画変遷一覧表で確認可能なもの」と言うことで整理し、それに基づいて調べた市をグリグリさん・いっちゃんさんに提示させて頂きました。


さて、調べていく中で問題点が2つ出てきました。
1つは、調べるのに結構手間がかかること。
言い訳ではありますが、1人で調べてると、どうしても「その市に合併している市町村の、過去の合併の経歴」で見逃しが出てきてしまうんです。
(アーカイブズ中の記事の時点でも、BEANさんが中心となって複数人が調べた結果がまとめられた形となっていますし)
最初に12市を追加解を提示したあとに見逃し(府中市・佐野市・一宮市)が明らかとなり、再度調査して4市新たに提示(見逃しだった京丹後市含む)、さらに見逃し(川崎市)が見つかったので再々調査してもう2市提示…と、結局3回にわたって追加する、と言う結果になってしまいました。
もう見逃しはないつもりなのですが、まだ自信がない…

もう1つの問題は、調べていく中で「グレーゾーン」の市が出てきてしまったこと。
具体的には「別の市からの部分編入・境界変更があり、その部分の郡域がよく分からないため判断が保留されるもの」「同じ組合せの市町村間で境界変更が2回以上有り、最終的に元に戻ったのか、一方に寄ったのか、双方に元々相手方だった部分が残っているのか…の判断が困難なもの」が挙げられます。
最初に見つかったグレーゾーンは足利市でした。
群馬県山田郡からの部分編入と群馬県太田市との境界変更があり、太田市から若干加わっているはずの部分の旧郡域が分からなかったので3郡か4郡か判定出来ませんでした。
で、そのまま「グレーゾーン」としておいてあったのですが、途中で88さんから調査協力の申し出を頂きましたので、本件について詳細な調査を行って頂きました。
その結果足利市については3郡からなるという結論にいたり、グレーゾーンから外れることとなりました。
ただ、この時に相方となる太田市が正答となっていたのをグレーゾーンに変更すべきだったのですが、そこまで頭が回っていませんでした。
後にYSKさんからのご指摘と88さんの詳細調査により太田市も3郡であることが明らかとなり、クロージング後に○から×へと変更されることとなったわけですが、この太田市に関しても、アーカイブズ中の記事をご覧になって頂ければ分かりますが、発端は小千谷と同様やはり私です。
Gさんにはご迷惑をかける結果となってしまい、申し訳ありません。

そして、正答かグレーゾーンか判断の付きかねるものが、もう1組ありました。
それが小樽市と石狩市です。
単純に見ると両市とも3郡からなる市なのですが、その他に小樽市と旧石狩町の間で2回境界変更があったことが行政区画変遷一覧表に記されていました。
この境界変更の内容次第で両方とも○・両方とも×・いずれか一方のみ○の3つの可能性があったのですが、それを知るためにはより詳細な調査が必要となります。
これらに気づいたのが8月10日で、私は11~13日旅行に行く事になっていたため、私から88さんに小樽市と旧石狩町間の境界変更の詳細調査を依頼し、その調査結果をグリグリさんといっちゃんさんに送付してもらい、お二人に最終判断をして頂きました。
よって、石狩市が問八の正答に含まれた根拠は「私の行政区画変遷一覧表の調査結果」+「88さんの官報情報検索サービスによる調査結果」、と言うことになります。
しかしながら、[53452][53458]北の住人さんの書き込みも踏まえると「現在、小樽市には旧石狩町だった部分はあるが、石狩市には小樽市だった部分は残っていない」と考えるのが妥当と考えられます。
この件については88さんと意見交換した結果、「小樽市は○、石狩市は×」とし、現時点での問八の想定解数は42とするのがよいのではないか…と言う結論となりました。

これらの調査結果のデータは表形式にとりまとめてありますので、別稿にてご提示させて頂く予定です。
ただし、現在まだ残っている微妙なところの詰め&きわどい事例の次点と思われるグレーゾーン市の確認&特殊なグレーゾーンの事例に関して88さんに調査のお願いをしてあります。
その結果を頂いてからデータの提示をしたいと思っていますので、今しばらくお待ち下さいますようお願い申し上げます。




[53495]紅葉橋律乃介さん
グリグリさんが書かれているには、何か根拠があるはずです。問題の元になった記事([42705])には3郡しかありませんから、ぜひ4郡の根拠をお教えいただきたいと思います。
石狩市が正答に含まれた事情は上記の通りで、[53442]88さんの記事中にある自治省告示がまさにその根拠だったのであります。
しかし、それではまだ検証が十分ではなかった、と言うのが88さんと北の住人さんの一連の議論によって明らかとなった…と言うことでした。
ところで、ここまで細かく調べる必要があるんですかね…?
本来の想定解は行政区画変遷一覧表で確認出来るもの、と言うことで整理したのですが、この石狩市の事例は数少ない「そこまで細かく調べないと決着が付かない事例」だったのでした。



※接続詞の修正
※※誤字訂正
[53523] 2006年 8月 20日(日)19:07:48オーナー グリグリ
十番勝負徒然
十番勝負への感想文を沢山いただきました。ありがとうございます。感想書き込みは「傾向と対策」として十番勝負のトップページなどからまとめて読むことができます。どなたかが書き込んでいらっしゃいましたが、出題者として皆さんの解答への道を知ることは、より適切な出題の参考になります。次回以降、解答者も納得の行く質の高い(難しいという意味ではなく)問題を目指したいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

[53376] 2006 年 8 月 15 日 (火) 02:05:46 くは さん
旧一級でない2桁国道
問四の共通項の問題指摘をありがとうございます。ご指摘通りで検証不足でした。安易に「一桁・二桁国道=旧一級国道」と判断してしまっていました。さっそく、共通項発表記事や解答状況のページを訂正しましたのでよろしくお願いいたします。

[53387] 2006 年 8 月 15 日 (火) 16:18:36 なきら さん
(しかし十番勝負は疲れますねぇ、こんなに疲れていいんだろうかというくらい。考えなくっちゃと思ってます。)
時々、日本たばこの心境になります。次回からは注意事項を大きな文字で書かなければいけないなぁ。

[53472] 2006 年 8 月 18 日 (金) 09:27:06【1】 JOUTOU さん
最後になりましたが、グリグリさん今回も楽しい問題をありがとうございました。
メッセージをどうもありがとうございました。
#他にもメッセージをいただいた皆さん、個別に引用しませんがありがとうございます。

また、いつものランキング分析をありがとうございます。「全国の市・十番勝負を語る」に追加させていただきました。

[53521] 2006 年 8 月 20 日 (日) 17:22:12【1】 EMM さん
この件については88さんと意見交換した結果、「小樽市は○、石狩市は×」とし、現時点での問八の想定解数は42とするのがよいのではないか…と言う結論となりました。
了解です。出題書き込みなど訂正いたしました。また、問八についての詳細報告をありがとうございました。私の検証不足で皆さんにお手数をお掛けいたしましたことをお詫び申し上げます。「3郡以上で郡の範囲が1町村以上の範囲」とするのが妥当だったようです。今後の過去ログからの出題時の参考にしたいと思います。
[53534] 2006年 8月 21日(月)00:47:28紅葉橋律乃介 さん
控えから物言い
 今回は(も)十番勝負の問題はニントモカントモ共通項が分からず、参加し(でき)なかったので何とも言えないんですが…。

[53521] 8月20日(日)17:22:12【1】 EMMさん
「明治の郡整理以降の郡に関して、合併された時期の新古・範囲の大小に関わらず4郡以上を市域に含む市で、行政区画変遷一覧表で確認可能なもの」

 ずいぶん厳しい共通項なんですね。まあ、想定解は全部出るとは想定していないでしょうから、検証が難しいものでもアリ、ではあるのでしょう。

 ただ、地名好きさんには悪いのですが、「行政区画変遷一覧表」を全ページ読みかつ覚えているのは、必須なのでしょうか?
 以前に出た話題(リスト)の中から、と言うのは分かりますが、その話題(リスト)に
詳細な調査
を加えられ、
それに基づいて調べた市をグリグリさん・いっちゃんさんに提示
したかどうかは、我々には分かりません。

 こうして内部での調整の結果が、
グレーゾーン
が出てきてしまった原因ではないですか?

 合っているのか、いないのか。ただそれだけのはずですが、「答えかどうかは不明→その都度調査」というのは、いくらなんでも不親切ではないですか?

 …とEMMさんさんに言ってもしょうがないですが(笑)。


 ちなみに、[53495]で根拠を求めたのは、[53442]88さんの告示を読んでも、今ひとつしっくり来なかったからです。
 こうして詳細に調査をしても、やはり石狩市は“4郡の市”なのでしょうか?
[53538] 2006年 8月 21日(月)03:09:36【2】EMM さん
ヒゲの伊之助涙の抗議
[53534] 紅葉橋律乃介さん

確かに、私の提示により話がややこしい方向に行ったのは事実だと思いますが、一方で問八のお題が本来グリグリさんが想定していた線引きでは収まらないところまで該当してしまう中身だったのも事実です。
拙稿[53521]中の
ところが、元々の話題は「3郡以上」であるのに対し、グリグリさんの想定した共通項が「4郡以上」であったため、内容に微妙なずれが出てしまっていたのです。
と、
ただし、3郡であれば良かったのですが、4郡以上ではまずい事例が混ざっています。
それがお題に含まれていた「小千谷市」。
実は小千谷市を見つけてきたのは私です。そしてその記事([42720])には、
ただし、古志郡は1行政区域のうちの1部分が加わったものでしたが、三島郡は1町まるまる入っているようです。
と、古志郡は1町村に満たない部分しかない旨書いています。
ついでに言うと、お題中では大田市も似た事例(邑智郡からは部分編入が3件)でした。
さらに、問八のお題中には下呂市(下呂市に合併した町村は全て益田郡だが、それらの町村の合併履歴を見ていくと他の郡から1町村単位で合併したところが計3郡分あった)がある。
問八はこれら3市をお題に含んでいるため「過去の履歴に至るまでの部分編入まで調べて想定解に入れないと、問題としておかしいことになってしまう」事になっていたのでした。
の通りです。
たまたま最初に気づいたのが私であったと言うことで、私の提示が無くても多分どなたかから何らかの形で疑義が出されていたと考えます。
そしてその疑義は、やがてグレーゾーン(判定が難しいところ)に行き当たったはずです。


ただ、地名好きさんには悪いのですが、「行政区画変遷一覧表」を全ページ読みかつ覚えているのは、必須なのでしょうか?
内容を記憶することは必須とは思いません。
ただ、出題のベースとなったアーカイブズ中のいくつかの記事に「行政区画変遷一覧表」で調べた旨書いてあり([42714]ペーロケ[愛比売命]さん、[42720]EMM、[42775]EMM、[42788]BEANさん)、当初の想定解である22市がそもそも「行政区画変遷一覧表」が元となったデータであるということになるです。
また、過去問の傾向から考えて、「行政区画変遷一覧表」は十番勝負を考える際に必要に応じてチェックしたほうがよい資料であると思っています。(ex.七回問七、八回問十)
お題からアーカイブズにたどり着ければ(トップページの検索が死亡中でも別の手段でたどり着けた)記事の内容から「行政区画変遷一覧表」にも目が向けられるのでは、と考えてました。

#十番勝負を解く時のEMM流テクニックになりますが、私が十番勝負に取りかかる時はOPERAを使って「落書き帳」「開催中の十番勝負の解答状況」「都道府県市区町村(市区町村プロフィール・雑学ページ・ランキングデータ・データベース検索を行ったり来たりする用)」「行政区画変遷一覧表」「つかんぼやと」「Yahoo!JAPAN」「Google」「WIKIPEDIA(のとりあえず適当なページ)」は最低限開きっぱなしにしながら、あーでもないこーでもないと頭を悩ませております。


こうして詳細に調査をしても、やはり石狩市は“4郡の市”なのでしょうか?
[53521]EMMおよび[53523]グリグリさんが触れていますが、88さんと北の住人さんとの議論の内容から3郡であると結論づけ、石狩市は想定解数から外し、現時点での想定解数は42と変更されています
[53355]にはまだ生き残っていましたが)
話を行ったり来たりさせてしまう原因を作ったことはお詫びしますが、問八に関する疑義が出ていればそのうちに出てくる事例だったのは間違いないと思いますので、紆余曲折はあったにせよ結論は出せた…と言うことでご容赦下さい。


#別稿で改めて想定解42市の郡域の調査結果をお示しする予定です。
それを見て頂ければ、小樽市と石狩町の境界変更にまで目を向けざるをえなかった原因である「小千谷市」の位置づけがはっきり分かって頂けると思います。


※タイトル変更
※※誤字訂正
[53544] 2006年 8月 21日(月)21:28:30【1】88 さん
十番勝負 問八 顛末記 その2
この土日は、経県地アップのため、富山県へ1泊2日で出かけておりました。富山県の西隣といえば石川県。石川県といえば、三大聖地の一つ金沢市。この金沢市在住のEMMさんに、土曜日に金沢をご案内いただきました(日曜日は自力で富山県内を徘徊)。ありがとうございました。[53495]紅葉橋律乃介さんの書き込みの時間は、ちょうどここをEMMさんに案内していただいている頃でした。
※急遽追記。[53543]の書き込みを見て、目が点・・・・。

さて、今回の十番勝負の問八に関してです。私のからみかたを、遅ればせながら申告します。[53521] EMM さん とも重複しますが、より私の立場から。
私自身の問八の十番勝負の解答としては、[53374]の感想文で述べたように、
「2郡」?「3郡以上」? わからないまま、九州から少なくとも「たくさん」の郡を含む久留米市で解答。4郡かどうかはそのときには確認していない・・結果オーライ。
でした。その後、EMMさんが詳細調査続行中だったので、合併情報の履歴情報を担当していることもあり、よく利用している「全国市町村名変遷要覧」を参考に旧市町村名を整理しているので調査に協力しますよ、とのメールをいっちゃんさんとEMMさんに送付したのが8月5日。ところが、既にそういう単純な段階ではなく、「町村の一部を含む」ものを確認しなければならない状態でした。同書には、自治体の増減を伴わないもの(境界変更)は、一部しか掲載されていないので、私が持っている資料等で調べるためには、

(1) 「官報検索情報サービス」で該当する告示を抽出する(※1947(S22)年5月3日告示以降のものが対象)
(2) (1)で調べた境界変更した大字を、「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」(東洋書林)で、藩政村を調べ、所属する郡を特定する
(「大字△△」は、藩政村では「□□郡『△△村』」であると判断する(基本的には))

という作業を行いました。こうして、EMMさんの依頼を受けて調査したのが、足利市や太田市の事例で、落書き帳ではアナウンスしていませんでしたが私は既に採点作業のお手伝いをさせていただいておりました。
本来ならば、先に想定解をすべて検証・特定し、それを基に採点するべきなのでしょうが、[52531]グリグリさんのコメントにもあるように、境界変更した範囲の郡の特定については、
異議申し立てベース
という状況でした。もちろん、EMMさんの手で、共通項発表・に向けて最終的な確認作業を行っていただいており、その過程で不明な点があれば、私の手持ち資料等で上記(1)(2)の作業で確認のお手伝いを随時行っていました。小樽市・石狩市はまさしくそれでした。

[53428]北の住人さん の投稿により、石狩市の4つ目の郡について疑義をいただき、[53442] 拙稿で
なぜ私88がこの話題にレスするのかいいますと、それは・・・ゴニョゴニョ・・・。
とぼやかしたのは、こういう状況であったからなのですが、もちろんEMMさんにより、問八の追跡調査の発表時点で、私が絡んでいたことは明らかにする予定でした(もちろん責任もありますし、騙すつもりもありませんから)。
で、石狩市を構成する郡が3郡か4郡か、についてですが、私が参考にした資料については、[53442][53458]でお示ししたとおりであり、私なりの結論は[53458]
H02(1990)0601の小樽市銭函五丁目の一部の石狩町への境界変更が、「元小樽郡銭函村」というのが私の推測だったのです(根拠は、単に同じ「銭函」だからそう思っただけ)。
です。私なりのこの結論を8月12日にグリグリさん、いっちゃんさん、EMMさんにメールで送付し、これを基に、グリグリさんは[53355]
問八:複数の郡(4つ以上)からできた市(未解答:6市)
小樽市、石狩市、奥州市、出雲市、三次市、庄原市
となったわけです。ところが、[53428][53452][53492]北の住人さんの投稿により、この部分は旧小樽郡銭函村ではなく、S50(1975)年に石狩郡石狩町大字樽川村の一部が境界変更により小樽市の一部となり、H02(1990)年にその一部が小樽市銭函五丁目の一部が境界変更して石狩郡石狩町へ戻ってきた、と考えられます。町名(大字名)の変更を伴っているため、告示だけでは単純に判断できない例だと思います。
これらの北の住人さんの投稿を基に、私及びEMMさんでの意見交換を反映し、[53523]グリグリさんのとおり、「石狩市は4郡ではなく3郡」と、変更がされたところです。
(私の[53442][53458]の投稿は、北の住人さんへの解答でもありますが、石狩市を4郡と判断した私の責任からも、正確な「事実」を求めようとしたものです。)
私が問八の検証作業にかかわっていたこと、グリグリさんの未解答市の発表の資料のネタは私が提供していたことを明らかにしていなかったことから、[53495] 紅葉橋律乃介 さん
グリグリさんが書かれているには、何か根拠があるはずです。問題の元になった記事([42705])には3郡しかありませんから、ぜひ4郡の根拠をお教えいただきたいと思います。
という書き込みになったのもごもっともなのです。紅葉橋律乃介 さん、また他の皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした。
[53495] 紅葉橋律乃介 さん の投稿があったので(他の方も同じように考えていらっしゃったかもしれません)、「これは88が問八の検証に携わっていたことを早く明らかにせねばますます皆様に失礼になる」と思い、EMMさんにお願いして[53521] の投稿(88の携わった経緯の説明)を急いでお願いしたわけです。

以上が、[53521]EMMさんの投稿への、88から追加弁明でした。みなさま、お騒がせしました。

なお、[53521]EMMさん
これらの調査結果のデータは表形式にとりまとめてありますので、別稿にてご提示させて頂く予定です。
ただし、現在まだ残っている微妙なところの詰め&きわどい事例の次点と思われるグレーゾーン市の確認&特殊なグレーゾーンの事例に関して88さんに調査のお願いをしてあります。
というわけで、いくつかEMMさんから依頼を受けておりますので、これらにつきましても調査のうえ、皆様にお示しし、またご指摘等をいただければ幸いです。

#表現を微修正・脱字修正
[53571] 2006年 8月 23日(水)03:15:37【1】EMM さん
4郡以上からなる市・調査結果データ
さて、[53521][53538]でアナウンスした「問八の想定解…4郡以上からなる42市」の郡の調査結果のデータをお示しします。
市については上から「お題(◎)」「当初の想定解…[42705][42788]BEANさんの書き込みに4郡以上の市として記載しているもの(○)」「追加想定解のうち、[42705][42788]BEANさんの書き込み中に3郡の市として記載されているもの(●)」「追加想定解のうち、●に該当しないもの」の順に並べてあります。
(△を付けた市は拙稿[42775]で4郡と確認出来る市…前々から騒いでいる「3市」のうち、太田市が3郡で確定したのでその他の2市…になります)

また、郡については左から、

「直接-1町村以上」…その市に直接合併した町村の郡で、1町村以上の区域があるもの(行政区画変遷一覧表で「+」となっている町村の郡)
「前歴-1町村以上」…その市に合併した市町村に過去の合併で加わった郡で、1町村以上の区域があるもの(行政区画変遷一覧表で「+」となっている町村の郡)
「直接-部分編入」…その市に直接部分編入or境界変更した区域のみで加わっている郡(行政区画変遷一覧表で「(+)」または「(±)」となっている市町村の郡)
「前歴-部分編入」…その市に合併した市町村への過去の部分編入or境界変更でのみ加わっている郡(行政区画変遷一覧表で「(+)」または「(±)」となっている市町村の郡)

となってます。文章で書くとややこしい…
ちなみに、同じ郡が複数の条件に当てはまる場合、より左にある条件を優先しています。
部分編入は複数あってもあくまで部分編入と見なし、1町村以上とはしていません。
「市に合併した市」については、1町村以上ある郡については「前歴」、部分編入or境界変更のみについては「直接」に入っています。(私の頭の中での整理の都合上)
郡名で県名が書いてあるものは越県合併or境界変更、「!」が付いているのは88さんの調査で郡名を確定したものです。
また、明治の郡整理より後の郡変更や合併に関しては、[42774]BEANさんに準じています。


市名直接-1町村以上前歴-1町村以上直接-部分編入前歴-部分編入
小千谷市◎北魚沼郡、中魚沼郡、三島郡古志郡
福井市◎足羽郡、吉田郡、丹生郡、坂井郡大野郡
下呂市◎益田郡大野郡、郡上郡、武儀郡加茂郡
京都市◎愛宕郡、葛野郡、紀伊郡、宇治郡、乙訓郡、久世郡、北桑田郡綴喜郡
大田市◎安濃郡、簸川郡、邇摩郡邑智郡
大崎市○志田郡、玉造郡、遠田郡栗原郡
横浜市○久良岐郡、橘樹郡、都筑郡、鎌倉郡東京都南多摩郡
長岡市○古志郡、三島郡、南蒲原郡、刈羽郡中魚沼郡、西蒲原郡
甲府市○西山梨郡、中巨摩郡、東八代郡西八代郡
長野市○上水内郡、上高井郡、更級郡、埴科郡
岐阜市○羽島郡、稲葉郡、山県郡、本巣郡
浜松市○浜名郡、引佐郡、周智郡、磐田郡
名古屋市○愛知郡、西春日井郡、海部郡、知多郡東春日井郡
福知山市○天田郡、加佐郡与謝郡何鹿郡、兵庫県氷上郡
大阪市○西成郡、東成郡、中河内郡、北河内郡
神戸市○武庫郡、有馬郡、美嚢郡、明石郡
姫路市○飾磨郡、神崎郡、揖保郡、印南郡、宍粟郡
岡山市○御津郡、上道郡、吉備郡、都窪郡、児島郡邑久郡
倉敷市○都窪郡、児島郡、浅口郡吉備郡
広島市○安芸郡、安佐郡、佐伯郡、高田郡賀茂郡
徳島市○名東郡、勝浦郡、板野郡名西郡
福岡市○筑紫郡、早良郡、糟屋郡、糸島郡
小樽市●高島郡、小樽郡、忍路郡石狩郡!
石巻市●△牡鹿郡、桃生郡本吉郡遠田郡
高崎市●群馬郡、碓氷郡、多野郡佐波郡
桐生市●山田郡、勢多郡、栃木県足利郡栃木県安蘇郡
富山市●婦負郡、上新川郡射水郡中新川郡
高岡市●射水郡、西礪波郡、氷見郡、東礪波郡
一宮市●中島郡、葉栗郡、丹羽郡西春日井郡
豊田市●西加茂郡、碧海郡、東加茂郡北設楽郡額田郡、岐阜県恵那郡
京丹後市●中郡、竹野郡、熊野郡与謝郡
出雲市●簸川郡八束郡、飯石郡安濃郡
福山市●深安郡、沼隈郡、芦品郡岡山県小田郡!
府中市(広島県)●芦品郡、御調郡、甲奴郡神石郡世羅郡
三次市●双三郡、甲奴郡世羅郡高田郡
庄原市●比婆郡、甲奴郡神石郡、双三郡
久留米市●三井郡、三潴郡、浮羽郡八女郡
奥州市胆沢郡江刺郡、東磐井郡西磐井郡
佐野市安蘇郡、足利郡下都賀郡、群馬県邑楽郡!
前橋市△勢多郡、群馬郡佐波郡、北群馬郡
千葉市千葉郡、山武郡印旛郡、市原郡
川崎市橘樹郡、都筑郡東京都荏原郡、東京都北多摩郡


郡を4つに分類した結果、表が横幅いっぱいいっぱいになってしまいました。
グリグリさん、どうもすいません。
長くなるので解説・追記などは別稿にて。


#表中のデータは何度も確認した上でとりまとめていますが、まだ間違いがある可能性があります。
30時間以内に指摘して頂ければ修正します。


※表の一部訂正
[53572] 2006年 8月 23日(水)03:19:20【1】EMM さん
4郡以上からなる市・調査結果データの解説とか追記とか
[53571]で示したデータの解説、および追記です。


[42705]BEANさんが本来想定していたのは左2列に含まれる郡で3郡以上、と言うことになります。
お題5市は3郡以上というくくりであれば問題はありませんが、4郡以上で括ろうとすると小千谷市の古志郡・大田市の邑智郡が直接ではあるものの部分編入のみである事が問題となってきます。
(ついでに言うと、調べていてあとから気づいたのですが下呂市には前歴での部分編入もある。)
となれば、小千谷・大田・下呂と同条件と思われる市も想定解とすべきだろう…ということでグリグリさんに提示させて頂いた、と言うことになります。
例えば、「4郡以上で、3郡は1町村以上必須」とか言う手もあるのかもしれませんが、かえって条件が複雑になってしまいます。
「3郡以上」とする手もありますが、やはり想定解数が激増しますし、それにお題5市では「3郡のみ」の市が該当するかどうかが読み取れません。
アーカイブズ複数の郡にまたがる市、複数の市を生んだ郡で確認出来るもののみ、と言うのも有りかもしれませんが、そうするとアーカイブズ中に出てくる「△」2市の扱いはどうするか?と言うのが出てきます。
あと、資料については拙稿[53538]にも書いた通りアーカイブズ中の記事が主に行政区画変遷一覧表を使って調べたもの(他の資料を使った方もあるかもしれませんが)ですし、官報を事細かに追っていけばより詳細な結果は出るのでしょうが、官報を調べ尽くせる人はどれだけいるか?と言う問題が出てきます。
問八のお題5市で考えていく限りは、拙稿[53521]で示した
「明治の郡整理以降の郡に関して、合併された時期の新古・範囲の大小に関わらず4郡以上を市域に含む市で、行政区画変遷一覧表で確認可能なもの」
と言うのが多分一番単純な共通点であるだろう、と考えています。

それと追記になりますが、「グレーゾーン(○か×かの判断が難しいもの)」については過去問でもあった話です。
具体的には九回問五の「八戸市」で、八戸市役所に問い合わせしてようやく決着が付いています。
また、かなりグレーゾーンに近い解があった例(ex.十一回問七の尾花沢市、九回問八の由布市)もあります。
問題のバリエーションを確保する上では、このような問が出てくるのはやむを得ないところがあると思います。
本問のグレーゾーンについては足利市(&太田市)、小樽市、石狩市が白黒つけられた訳ですが、実は探せばまだ出てくるのです。
例えば、上記3市以外に「新潟市」が実はグレーゾーンとして留保していました。
新潟市は北蒲原郡・中蒲原郡・西蒲原郡からなるのですが、調べていくと旧白根市(白根町時代含む)に加茂市からの部分編入が2回ありました。
加茂市は南蒲原郡と中蒲原郡からなっており、白根への編入部分がもし南蒲原郡だった部分だとすると新潟市も4郡である、と言うことになります。
これについても88さんに調査して頂いたところ2件とも元々中蒲原郡だった事が判明し、想定解が新たに1つ増える自体とはなりませんでした。
(なお、旧岩室村に1955年に合併した西蒲原郡間瀬村はかつて三島郡から西蒲原郡に移動していますが、郡が変更されたのは1896年で、3郡合併により佐渡郡が成立したのと同じ日に実施されています。そのために明治の郡整理の一環と見なし、三島郡はノーカウントとしています。)
「これはどうなんだろう?」と思ったところは大垣市とかまだあったのですが、合併のパターンからして1郡増えることはないだろうと判断しています。…でももしかしたらまだ隠れてるかも。

そうそう、「新たに合併や境界変更がない限り、永遠にグレーゾーン」という市もありました。
それは高山市。
旧丹生川村に「境界未定部分の境界画定(乗鞍岳桔梗ヶ原地内、実施日は高山市に合併する11日前)」がありました。
境界未定の相手方は長野県南安曇郡安曇村ですので、細かい話をすれば高山市は大野郡・吉城郡・益田郡+南安曇郡との境界未定部分だった部分がある…と言うことになるのでしょうが、境界未定では1郡としてカウントする訳にはいけませんね。
でも新たに画定された境界に隣接する部分は素直に大野郡と言いがたいような気がするので、「3郡以上4郡未満」と言うことになるんではないでしょうか。


※誤字訂正


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